老いるということ

トイレの静寂を切り裂くかのように響き渡る轟音。


僕はその音に耳を傾けながら、そっと瞳を閉じ、右手で鼻をつまんだ。


扉を開けて出てきた井上君はとても穏やかな顔をしていて、お互い目を合わすでもなく、ただ黙って互いの拳と拳をコツンとぶつけ合う。


口下手で不器用ながらも、互いの便意をリスペクトし合う男の友情が、確かにそこにはありました。





普段からお通じの良さには定評のある僕と井上君。


食後は必ずといっていいほどトイレに行く『イート&リリース』という僕達のスタイルはバンド内でも高く評価され、今や【ロケット鉛筆】という確固たる地位を確立するまでに至りました。



そんなお通じ事情を抱えている僕達なので、一緒に食事に行った後は当然のようにトイレのタイミングが被り、

冒頭のように、井上君が食後のトイレを済ましドアを開けると、無二の便友である僕がトイレ待ちしている、といった事は日常茶飯事です。





僕と井上君は小学校からの仲で、出会いはサッカースポーツ少年団だったんですが、

そのスポ少で行った遠征合宿の宿舎での夜、当時ノーパンでパジャマを着ていた僕をトイレで見た井上君は、

「UNKOがパジャマにつくやんけ!はよパンツはけよ!」

と本気で心配して怒ってくれました。



『UNKOは絶対パンツに付くモノ』という大前提の元で怒る井上君のパンツは、きっとその時既にUNKOに侵されていたんだと思います。




やがて同じ高校に通い始め、同級生の間で『トイレでタバコを吸う』という不良の登竜門的行為が流行りだした頃、

僕達は『タバコを吸いながらUNKOをする』というアクロバティックなパフォーマンスを魅せあう事に夢中になりました。


普通に考えたら、先生が入ってきた時に逃げも隠れも出来ず、非常に危険なパフォーマンスなんですが、当時の僕達はこう信じていたんです。



「UNKOの臭いがタバコの臭いをかき消すから、逆に大丈夫。」



そんな僕達のUNKOに対する絶対的信頼は決して揺ぐことなく、結果的に一度も先生に見つかる事なく、無事卒業出来ました。





しかし、こうしてトイレの思い出話をし始めると、本当に心温まるエピソードばかりです。


昨年、植村花菜さんの『トイレの神様』という、トイレについて歌った曲が大ヒットしたのは記憶に新しいですが、

やはり人々にとってトイレという場所はホッと一息つけて安心出来る場所であり、

だからこそ、そこでするUNKOにも僕自身安らぎを感じていたんだなと思います。


そして、その気持ちはこれから先もずっと変わる事はないと思ってました。



少なくとも、


あの悲劇が起こるまでは。






ここからは僕個人の話になるんですが、

つい先日、3日前の1月30日、信じられない事が起こりました。




それは僕が昼御飯を食べている時でした。

いつものように何となくボーッとテレビを見ながら、箸を置いてお茶を汲もうとしたその瞬間、


突然、



何の前触れもなく、




UNKOが出たんです。




出たといっても、水状のモノがほんの1、2滴だけだったんですが、

その場所がトイレではなく食卓であったこと、そして自分の意思とは関係なく無意識に出たという事実に、僕は戸惑いを隠しきれませんでした。


自分は『トイレで用を足す』という、人としてごく当たり前の事も出来なくなってしまったのかと。


トイレの女神は僕に輝いてはくれませんでした。





そして、UNKOが出る瞬間、きっと僕の体内ではこんなドラマがあったんだと思います。


肛門「ちょっとちょっと!そこのUNKOさん、困りますよ勝手に出ようとしちゃあ!ちゃんと大腸さんの方で外出許可もらってんすか!?」


UNKO「す、すみません‥。しかし、昨日入ってこられた賞味期限切れ牛乳さんのパワハラにはもう耐えきれないんです。どうか、どうかお見逃し下さい!」


肛「いやいや、あのねぇUNKOさん。気持ちはわかりますけど、UNKOさん一人だけ外出を認めちゃったら、他の我慢しているUNKOさん達に示しがつかないじゃないですか。UNKOさん、ここは一旦お引き取りくだ‥‥‥! UNKOさん!?ちょっと!ちょっと待ちなさいUNKOさん!!UNKOさん!!!!」



こうして無断外出したUNKOの気持ちもわかるし、決して強く責めたりは出来ません。

UNKOを止めきれなかった肛門も仕方がないと思います。

肛門とUNKO、どっちに非があるかなんて僕にはわからないです。




ただ今回の[1月30日 UNKO無断外出事件]、俗にいう1.30は、自分が人生のネクストステージに進んだと決定付けるには充分の衝撃があったし、

とにかく、ショックでした。


自分はここまで老いたのかと。



そして、それと同時に自分が老いるということは、当然の事ながら自分の周りにいる人達も同様に老いていくんだなと改めて考えさせられました。



今は元気な家族や友達も、いつまでも皆そのまま元気でいてくれるわけはないし、

僕が家に帰ったらいつも飛び跳ねて喜んでくれる愛犬(六歳・童貞)だって、あと10年一緒にいれたら良い方なのかもしれません。



命に永遠なんてない事は頭で分かっていても、やはりそういった事を考えると少し寂しくなりました。




すみません、なんか急に湿っぽくなっちゃって。




いえ、




パンツの事じゃなくて。






それと、今回のブログは自分の日常をありのまま書いただけとはいえ、

途中汚い表現も多々あり、気分を害された方もいらっしゃるかもしれません。



もしそうであれば、心から謝らせて頂きます。



すみませんでした。





ですので、






どうか今回の事は、







水に流してもらえたら幸いです。